夢うつつに声を聞く

日常の記録です。

1月9日(火)データの息苦しさから逃れること。

成長する過程で人との距離感をずっと考えてきて、十数年経ってようやく自分の対処方法を見つけて、少しの間やってきた。でもSNSが登場し、その方法を簡単にゼロにしてくれたので、今度はSNSでの距離感に昔よりはついた経験値を駆使してどうにか対処している(でもまだうまくはいかない)。それだけでも大変なのに、昨今は「情報を探す」という行動にまで、機械がフィルターをかけたり強制的なレコメンドをしたりするようになった。自分の思考や五感に機械が(私にとっては)余計なノイズを増やす形になってきた状況がどうにもしんどい。

情報が簡単に探せることは便利でありがたく、いい時代になったことは間違いない。でもデータによるレコメンド機能はどっちでもよくて、というかそういう取捨選択は自分でやるから放っておいてほしい。自分のアンテナに何もひっかからなければその時は自分が欲していないか体調がよくないからだと判断しているから(目に見えるデータだけ、裏にある感情が抜け落ちた状態で私の何がわかんねんっていつも思う)、そのバロメーターの基準を狂わせるようなことは正直してほしくないのだ。 

とか思っているけど、どう考えても今後は真逆の方向に向かうんだろう。自分のような考え方の人間は、自分で防衛していかないといけない息苦しい時代。そういえば、レコメンドサービスの中ではApple Musicの選曲がわりと好きだった。あれは人の手が入っていると明らかにわかったし(選曲理由が見えづらい揺らぎのある曲、いわゆる個人の主観が強そうな曲がたまに見つかった)、なんというかこう、データによるレコメンドの正解すぎる息苦しさがあんまりなかったからかもしれない。

人に同意を求めようとは思ってないけど、世の中の人がどう思っているのかは気になるところ。ちょっと考えすぎかしらね。